私の脱原発運動

 1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故は衝撃的でした。チェルノブイリからの放射性物質は,北海道の牧草地や摘み取り時期のお茶の葉っぱにまで降り注ぎ、行政には放射能測定を求める市民の声が殺到しました。放射能汚染は、自然環境とあらゆる生物に影響を及ぼし、その脅威は原発のある地域だけの問題でなく豊かな農畜産物の恵みを受ける全ての人の問題です。私も3人の子どもの母親として原発事故の怖さが身に染み、脱原発運動に参加する様になりました。

 狭い日本にこれ以上の原発は不要であると、各地で誘致反対運動がおこり、私もその都度署名活動に参加してきました。原発から発生する放射性物質の処理技術がない以上、核のゴミを後世に残すことになる、この問題もいまだに解決されていません。

 2007年「六ヶ所再処理工場に反対し放射能汚染を阻止する全国ネットワーク」が再処理工場の本格稼働を阻止する署名活動を行い、翌年80万筆もの署名を提出しました。2007年に参議院議員になった私は、この署名提出に立ち会い、市民活動の広がりと重さを実感しました。

 「我が国の経済発展のためには安定した電力供給が可能な原発が必要である」とする推進派に対抗するために、市民が考えたのは省エネ・創エネの推進です。私が所属していた生活者ネットワークでは自動販売機調査を行なって消費電力を公表したり、緑のカーテン運動をすすめ、公共施設は省エネで節電所にしようと提案しました。

 一人一人が省エネ意識を徹底することで、電力需要は確実に減少します。私は、国会議員有志に呼び掛け「再生可能エネルギー・省エネ技術促進議員連盟」をつくり事務局長を務めました。小水力発電・地中熱・太陽光発電などの再生可能エネルギーの促進と住宅の断熱など省エネ技術の促進で脱原発への道は可能だと考え、学習会開催や視察等々を行い具体的な提案へと結びつけました。

 そして、5年前の福島原発事故の発生です。原発神話は崩壊しました。 
 

 短命であった民主党政権ではありましたが、脱原発に舵を切り、私は同じ思いの議員でつくった超党派議員有志での「原発ゼロの会」や民主党議員有志の「脱原発ロードマップの会」市民も一緒の「脱原発を実現する女たちの会」で活動し原発ゼロ社会実現への道を模索してきました。

 しかし安倍政権は、福島原発事故処理のメドも立たないにもかかわらず、止まっていた原発の再稼働を急いでいます。誰かの被ばくを前提とする原発は倫理的にも許されません。経済優先の原発再稼働は絶対に反対です。

 民進党が提案している4つの法案「分散型エネルギー利用促進法、熱エネルギー利用促進法、公共施設省エネ義務化法、エネルギー協同組合法」のうち、特に実現したいのはエネルギー協同組合法です。協同組合は地域で自らが出資し運営も担う法人です。地域での小規模発電を地域内で循環するしくみが、分散型エネルギー供給の担い手となり地域経済活性化にもつながるはずです。