プロフィール

大河原雅子(おおかわらまさこ)


1953年4月8日生まれ
東京都議会議員3期(都議会生活者ネットワーク)
参議院議員1期(民主党)

生い立ち

春爛漫の4月8日、名古屋出身のサラリーマンの長女として生まれる。
翌年12月に弟、その2年後に妹誕生。 典型的な核家族。

1958年

台風22号(狩野川台風)・鶴見川の氾濫で水害にあい、港北区に転居。後からできた新横浜駅は田んぼの真ん中だった。

1960年
誕生!

横浜市立城郷小学校入学。小学校は、徒歩1分で道草しらず。朝から晩まで校庭が遊び場。防空壕や古墳の残る裏山も冒険基地でよく遊んだ。弟の急性白血病の発病とともに名古屋の祖父母宅へ預けられ、近くの小学校に転校。小学校2年生で東海道線「特急つばめ号」で一人旅したことが自慢。
父の転勤で小学校3,4年を岡山の小学校で過ごし、5年生になるとき 再び、横浜にもどる。3回も繰り返した転校経験のせいか、「兼高かおる世界の旅」とNHK「新日本紀行」がお気に入り番組。将来は旅行家に!と、あこがれた。

1966年

中学受験のため、塾っ子のはしり。
中学時代はバレーボール、高校では生徒会で活動。購買部のパンの仕入先を変更する生徒の要望を受けて奔走。食べ物へのこだわりはこの時代から培われた。

1972年

国際基督教大学入学。入学と同時にキャンパス内の女子寮に入寮。18歳にして思いがけず親元を離れることになった。

1973年

小学校以来の男女共学、人類学への憧憬は何処へやら、ゼミ室よりもグランドや体育館方面で活動。現役部員5人というラグビー部のマネージャーを引き受けてクラブ再興に一致団結して、キャンパスライフを満喫。

1974~75年

大学が全国初の学費のスライド制値上げを打ち出した事から、一般学生として反対運動に参加。

1975年

夏休みを利用して、カリフォルニア大学からの交換留学生だった日系3世の友人とその友達、5人と犬1匹でアメリカ大陸ぐるり旅。
友人が指導教授から100ドルで買ったオールズ・モービルのステーションワゴンに、テントと食料を積み、国立公園のキャンプ場や親戚・友人宅を拠点に周遊した。大都会から田舎まで約2ヶ月間、アメリカを体感。
参加者は、日本人、日系、台湾系、メキシコ系、アイルランド系米国人

1977年

卒業を1年遅らせて社会へ。女性の就職難(男女の就職差別)という現実に初めてぶつかる。大学時代の映画好きが高じて、小さな舞台・映画の制作会社(アトリエ41)に就職。

社会人

社長は、黒澤明監督の元助監督で、「デルスウザーラ」のプロデューサー。秘書という名の使い走りは、とてもスリリングで、多彩な方々にお会いした。初めて書いたビジネスレターは、ルネ・クレマン監督へのお礼状。舞台制作でのパシリも経験。稽古場や俳優さんのスケジュール押さえ、お弁当の手配、俳優座劇場での泉鏡花の芝居では、新橋耐子さんの着物にアイロンかけも。(今は亡き、仮面ライダーの死神博士役・天本英世さんも出演)母校の大先輩・故川喜多かしこ(東宝東和社長:エキプドシネマ)岩波ホール支配人:高野悦子さんに憧れた。

羽仁進監督らと

羽仁進監督・寺山修司原案サンリオ映画「アフリカ物語」の撮影準備に参加、ケニアに2度出張、サバンナにロケハン。

1979年
結婚

10月6日 ICU教会にて結婚。
連れ合いが、当時まだ学生だった事から親の反対にあう。指導教授の説得で、親にも祝福されて10月に結婚。折から式の当日は衆議院選挙。新婚旅行先の熱海で開票速報をずっと見ていた。
我孫子市白山に新居。
柏市の社宅に転居。初めてのご近所づきあい。社宅というコミュニティで、子育て仲間、経験者の助けも借りて、子育てに奮闘。生協に加入。ICUの先輩郡司千代子さん(柏ネット)が市議会議員選挙に立候補。ホームパーティ初体験。

1988年
家族で

世田谷区の社宅に転居。東京都に食品安全条例の制定を求める直接請求運動に参加。以後環境問題などの活動に関わる。3人の子どもの母親業と地域活動で多忙の毎日を過ごす。

1993年

都議会議員初当選(世田谷選挙区)。3期10年在任。
生活者の視点を最大限生かして子ども・教育・医療・福祉・環境などの課題に取組む。
*政治倫理条例議員提案
*ベビーフードの残留農薬や輸入米の検査を実現し食品安全条例の制定に活躍
*シックスクール対策、化学物質子どもラインの策定を推進。
*東京の水循環の回復を主張し、八ッ場ダム見直しを提案
*世界都市博覧会の開催に反対し、住民投票条例を議員提案
*遺伝子組換え食品表示・NPO法制定への意見書を提出
*女性財団の廃止に反対し、子どもの権利擁護相談事業の存続に尽力

1999年

東京・生活者ネットワーク代表委員就任 2006年2月まで。
ドイツの分権システム調査のためスタディツアーに参加。
緑の党のメンバーと交流

2007年

参議院議員選挙(東京都選出) 1,087,743票で初当選
参議院議員時代には、都市農業推進議員連盟、公共事業チェック議員の会、チャイルドライン支援議員連盟、保育を考える議員連盟、“食の安全”研究議員連盟、TPPを慎重に考える会、再生可能エネルギー・省エネ技術促進議員連盟、食と農の再生会議議員連盟等で事務局長、水制度改革議員連盟・副代表、八ッ場ダム等の地元住民の生活再建を考える議員連盟・幹事長、日本ユネスコ国内委員会委員、障害者政策推進議員連盟、統合医療を普及・促進する議員連盟、健康・省エネ住宅推進議員連盟、原発ゼロの会などで活動。

2017年

衆議院議員選挙(北関東比例ブロック)当選

2019年

東京都第21区総支部長就任

【東京21区】
立川市 ●日野市 ●国立市の全域、●八王子市 ●多摩市 ●稲城市の一部地域
八王子市の一部:東中野・大塚
多摩市の一部:関戸、関戸1-4丁目、関戸5丁目(1-8、13-31番)、連光寺、連光寺1-6丁目、東寺方1丁目、一ノ宮、一ノ宮1-4丁目、聖ヶ丘1丁目(1-24、35、44番)、聖ヶ丘2-5丁目
稲城市の一部:坂浜、平尾、平尾1-3丁目、長峰1-3丁目、若葉台1-4丁目

2021年

10月衆議院議員選挙で2期目の当選(東京比例代表)

2022年

立憲民主党東京第21区総支部長 
所属委員会 ◎決算行政監視委員会(理事) ◎消費者問題特別委員会
党務・議連等 ◎ジェンダー平等推進本部副事務局長 ◎SOGIに関するPT座長
◎共生社会の実現にむけた認知症施策推進議員連盟幹事長代理
◎協同労働推進議連(ワーカーズ議連)幹事長代行 ◎障害者の自立と政治参加をすすめるネットワーク会員 ◎平和・立憲・人権をつなぐ全国自治体議員ネットワーク顧問
◎食の安全・安心を創る議員連盟副会長 ◎都市農業推進有志議員連盟事務局長
◎有機農業推進議員連盟 ◎UR住宅居住者を支援する議員連盟
◎全国小水力利用ネットワーク特別顧問 ◎香害をなくす議員の会 ◎原発ゼロの会
◎タクシー政策議員連盟 ◎立憲フォーラム

国会の役職

決算行政監視委員会理事
消費者問題に関する特別委員会/委員

党の役職

ジェンダー推進本部 副事務局長
裁判官弾劾裁判所裁判予備員

その他

公共事業チェック議員の会・事務局長
都市農業推進有志議員連盟・事務局長
協同労働推進議員連盟幹事長代行
原発ゼロの会
子ども被災者支援議員連盟
全国小水力利用推進協議会顧問
党・SOGIに関するPT座長
立憲フォーラム会員
共生社会の実現に向けた認知生施策推進議員連盟幹事長代理
障害者の自立と政治参加をすすめるネットワーク会員
平和・立憲・人権をつなぐ全国自治体議員ネットワーク顧問 など

●好きな言葉

地球は未来の子どもたちからの預かりもの。世代を超えて、地球規模で考え、地域から行動しよう!

●生活信条

「よく遊び、よく学び」「嘘をつかない」「表裏のない人間になる」

●趣味

映画鑑賞(お気に入りは「アラビアのロレンス」「愛と哀しみの果て」)

●性格

明るく、まじめで正直、好奇心が強く、思い立ったら行動が早い
しっかり者で気が強い反面、涙もろいロマンチスト

●原点

  1. 父から教えられた宮沢賢治・・・「雨ニモマケズ」の詩を生きる姿勢のお手本に
  2. 小学校の井上先生・・・多数の意見に流されず、「正しいと思ったことは、最後の一人になっても表明せよ」と教えていただいた。
  3. 有吉佐和子の「複合汚染」・・・学生時代に読み、母親となって再読し、環境問題に目覚めた。