私は、小さい頃から元気と丈夫が何よりの取柄という人生を送ってきましたが、3月下旬、立川市錦町の自宅マンションエレベーター内で、脳出血を起こし倒れました。
幸い、近所の方が119番通報してくれ一命をとりとめました。しかし、左半身に麻痺が残る中途障がい者になりました。
コロナ禍で医療逼迫が起こっている今であったら助からなかった命かもしれません。事故や病気で命を失ったり、障害を負った人生を送ることは誰にでも起こりうることです。
自分自身が健康な時は、障がいについて理解があると思っていました。しかし、その理解は、どこか他人事だったと正直感じています。自分自身が障がいを負って、改めてこの社会は、障がいがない人を基準に作られている、障がいと共に生きることは大変なことだと実感しました。
私はこれまで、「共に生きる社会」を創りたいと活動してきました。今私は私自身が訴えてきたことを当事者として受け止めなくてはならないのです。問題解決は私に課せられた使命だと捉えています。
当面は車椅子での活動となります。
以前のように走り回ることはできません。しかし、私は市民に寄り添い、小さな声に耳を傾け、それを政策として国政を変えたいという信念があります。「自己責任」という言葉で責任回避しない政治を実現することが未来の日本、子どもたちの笑顔につながると確信しています。コロナ禍の今、コロナ後を見据えて「共に生きる社会」への変革を進めて参ります。